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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

今拓く華と路と空と風 5 

        今拓く華と路と空と風5


今、現在これはと言うものは物はない。日々の暮らしは起きて寝る、その間時間つぶしに心に有生まれてくる物をかいつまんで書いている。
何の変化もなすが、それがまた私の心の平安をもたらせてくれているのか…。
だが、人に読んでいただくようなものを書くこともなくせす心的には本当に楽だ。

私は沢山の本を読んで、このような本を読みたいと言う事から自分のために書くことが多かった。書くことによって原稿料を貰うと言う厚かましさになれていなかった。稿料を貰って書いているときは地獄を見た。
その事から自由になれ解放された事が一番には楽なことでありありがたいこととして痛感している。
これからも現在の私がこのように思う、このような話が気になった、その書くと言う行為のなかに実年齢の私が存在すること。これが歴史である事を、時を刻みながら生きている事を実感しながら書くことにする.

歳ではこれが普通なのか…。

この歳になって、天候とか気圧に左右される生活をしている。六十になって今のように自律神経が猛然と襲ってきた事があった。心臓は不整脈で息苦しくなる日が長く続いた。心電図を見たら飛びあるいていた。体はだるい、頭は何時もボーとしている、胃腸も芳しくなく、目もほちほちする、そんな症状に対して苦しみながら一日一日をやり過ごした。何の手当てもなくすこすうちに多少改善が見られた。それから意外と平然と生活をしていたのだが、慢性の頭痛には頭を抱えた。
今、以前のような状態が続いている。
六十で何もかも辞めて今は遊び人、自分のために書きたいものを書いて自己満足の日々だからいいようなものの、何かの拘束や約束があったらお手上げだったと思う。
今いそいでいる。
やり残した物を総てやっておこうという事だ。
新しい事をするのではない、今までやり残したものを完結したいと言う事だ。未完、の作品が三十作ほどある。これらの作品は終わりと書きたいという気持ちがわいている。
ホームページ、ブログの整理は少しずつおこなっている。自分史も大方書き上げている。作品も公演の場所も書き加えた。
今、今の年齢で書きつづることで老いの心境を表そうとしている。
歳を取ると明日が見えない。だから今日あすしなくてはならない事を心に描いている。明日何かをする事が約束されていれば心が落ち着き明日を待ちどうしいと言うのが現実としてうれしい。それが例えかかりつけの医者を訪れると言う小さなことでも大きく感じる。それゆえに、未完の作品を明日たとえ一行でも書こうと言う事を自分に強いることで生きられるという事だ。
一日中パソコンに向かって時間の無駄遣いをしているが、それが今の生きている証しになっている。
帰らぬ手紙やメールを出してみる。それが現在の心の漂泊なのだ。
昔、若者にと書いたものがある、今読んでみても私への戒めのように思われる。
これは今田に消化できていない。だが、愛着はある。
四十歳のころ書いたものだが…。

滑稽座新聞

智恵と常識のあれこれ

環境保護運動の高まりは所得と知性の関数だと言う見解がある

現代の大量消費時代は人が触れる物総てをゴミと変える

教育は哲学である・教育を変えるのは哲学である (哲学概論は哲学のコーナーで)言霊(ことだま)=使命

心を打つ仏像には慈悲が表現されている・慈とは父の厳しさ、悲とは母の優しさです仏教で言う三千とは、無数と言う意 三千諸仏とはこの世のあらゆる物のに仏が宿っているということ

土に感謝=お地蔵さん 水は=観音さん 火は=不動さん 仏=森羅万象

慈悲の愛=無償の親心

如来=慈=阿弥陀如来、薬師如来=父の厳しさ

菩薩=悲=観音菩薩=母の優しさ  明王=不動明王=命懸けの瞳、我を忘れて子を救ける  天部=仁王、四天王、十二神将=如来、菩薩、明王を守って仏敵と戦う

霊魂観=天翔(かか)り、国翔り、つまり死んで尚生前より強くなり守護すると言う魂

例えば卑弥呼が殺されたのもこの霊魂観に由来していると言われている

バイオエングス=生命倫理学

美は総ての人の物になりたがっている

人間と言うのは時間の使いが上手かどうかで幸せにも不幸にもなる、時間の使い方が上手な人は得をします、時間作るもので与えられるものではない

隠居は非健康的である・やりたい時にやる、休む事は錆びる事だ   エジソン

収穫はたまたま実るもので、一生に一度もないかもしれない     エジソン

人間の全睡眠時間を減らせば能力は増大する

現代の人間は嗜好の為に睡眠をしない。決して人のためとか、能力を増大する目的ではない

データーなしには研究は出来ない、総てデーターでやる、大衆の最大限の幸福が目的天才は1%の霊感と99%の発汗からなる・自分の為に発明するのだ、頭脳の小さい資本家の為ではない 私をつくりあげてくれたのは母だ   エジソン      人類が身に纏った最初の衣料はトナカイの毛皮

旬の意識が薄れたら食物はつまらない                     枕はチップ状の大理石がよい、桧=フィットンチッド、ハーブが精神安定の効果  京都は歳月をかけてコクを出す時間の街、大阪、東京は新しいものが通過する街  京都は漬物の街  水は古代は治療に使った 名水のある所、港、都栄える    家作りの基本は、人生を終える場所として考えよ、子が育ち、結婚式を、披露宴を し、そして葬式の出来る家造りを考えることが必要

病気は死ぬためのビィグチャンスとして捉えよ

産業資本の勃興期には洋を問わず花が流行する、景気を回復させるには花に夢中にすべきなんだ、それが大衆消費に繋がる 例えば、ヨロッパにチューリツプ、日本に万年青(おもと)・・・その栽培が近代の消費社会を育てた      本田道太郎

家は漏らぬ程、食は餓えぬ程にて事足れり・自分が死んだのち、百畳、二百畳の茶となるべし。これ利休の罪なり・・・茶室は四畳半がよし 茶とは自然の理に叶った作法 茶も仏教の「無一物無尽蔵」=何もかも捨てた時に何もかも我が物になるということ 茶の道は真っ直ぐ、自然体の生活の追求・ 利休の懐石は一汁三菜 ・胡麻が利休料理」のキーワード  茶は服のよきように、夏は涼しく、冬は暖かく俎は猫柳が最良、九州では銀杏、山陽では朴(ほお)、山陰東北では柳 木の俎には自然坑菌力がある

炭入れてご飯を炊く、その他昆布、純米酒、味醂、米油、塩を一掴み、鰹節を一欠片鯨油は石油が発見されるまでのランプの油だった 鯨は食用にするのではなく油を取り肉は海に捨てた 「白鯨」と言う小説は油を捕りに行って、白鯨に片足を食われその敵を取ろうとする物語だが、その頃は鯨油は石油より貴重品とされ、鯨船は七つの海を渡ったという 海に国境はない、鯨船の上で日本は物々交換をしていた ジョン万次郎は鯨船の乗組員となり勉強した 日本初の一等航海士であった       犬と車は放し飼いが理想

遣唐使(7世紀)の遺産「索餅(さくべい)」が日本の麺の始まりだった 索餅とは麦縄(むぎなわ) 索とは太い縄と言う意、餅は小麦粉で作られた食品を総称する言葉 油と塩を混ぜて延ばすという現在の麺造りの素となる

「水玉模様と千鳥格子」は不況のシグナル 暗い時代になると懐古趣味になる

脳科学=快、不快を化学的に解明する学問

「自分が意義深い存在である」と言うことを理解してくれる人=自己の精神性をより重視する人の情報を最も強い刺激(快感)として受け取る人が「人らしい人」に近い一度脳に記憶されると「忘れる」事はあっても、「消す」事は出来ない それは脳に傷痕として残るのです

アゼンダ21=「環境と開発に関するリオデイジャネイロ宣言」を具体的にする為の行動計画 1大気保全 2生物多様性の保全 3バイオテクノロジーの環境上健全な管理 4有害学物質の環境上健全な保存 5廃棄物処理 6資金問題

エコー火力発電所=木を燃料にする発電所 co2 の問題で考えられている

エコ・リッチ=アメリカの若者の間で、有機栽培の植物、有機飼料で育てられた動物しか食べないという、健康志向・・・これは嘗てヒッピーが行なっていた

グリーンGNP=経済活動が環境を破壊し、生活の質が低下した場合は、GNPに反映させない 環境を汚した分だけ差し引こうということ

第四世界=第三世界において、政治的迫害や戦争からの避難とは別に、環境から追われて新しく発生した難民

地球益=私益、社益、国益ではなく、地球全体の利益を考えて行動すること

エコステーション=地球に優しい車の為の「燃料補給基地」

エコトピア=環境庁地球温暖化防止のための実験都市

環境ラベル=環境面での優良商品に対して表示するラベル

グリーンエンジン=マーレシァ特産の植物油、パーム油を燃料にした自動車エンジンメタポリリズム文明=循環代謝と言う意、リサイクル型、省エネ型社会を作ろうという意

フエライト=俗に言う永久磁石の親戚、なぜに充電をしないのに電気が作られるのかこれはどうも解明出来ていないことらしい フエライトの化学反応を酷使した地球に優しい環境技術が進んでいる、水道水、水の浄化化に最適であるとか 人間の予知能力もフエライトになんらかの関係があるとか

ジオフロント=地下空間有効活用

老人問題=老後の不安三大要素は 経済・健康・疎外感

最澄天台比叡山 空海真言高野山 法然浄土智恩院 親鸞真宗本願寺 日蓮法華身延山

栄西臨済建仁寺 道元曹洞永平寺 日興正宗大石寺、日本には大きく分けて八つの仏教の宗派がある、ここでは親鸞二派を同一視している

動脈産業(製造業)ー静脈産業(リサイクル業)

商品やゴミの選択肢を誤って自己崩壊的なダメージを蒙る可能性が高いのは、人類と地球環境そのものであり、最終的に責任は市民に降りかかってくる

経済力や社会的地位はパートナーを選ぶ上で、大した意味を持たない 本当に必要なのは精神的な充足なのだ 自立した女性にとっては精神的にフィツトした男性を選ぶべき

マザフィク=母親との精神的な結びつきから離れられない事、マザコンよりも母親の女性性に拘っている事 マザコンの男性以上に、成人した女性に関心を示さない人達夫婦間にはコンスタントに身体を共有している状況がないと、お互い疑り深くなったり、人間としての自由自在さが失われていくし、心身共に干涸びてしまう 高血圧なんかもセックスレスによるストレスが原因だったりする

恋愛というのは、なんとかして彼女の事を知って、自分の事を知って貰う事がスタート、そして、第二のスタートは性的な関係を結んだ時 だが、今の若者は付合い始めがゴール                                  今迄とは違う彼彼女を発見したり、何時もと違う自分を発見し体験することが恋愛 自己の確立しないもの同士の結婚などありえない                ココロジー(行動心理学)

人間が猿から学ばなければならないもの=猿には発情期がない、食物は性を提供してまで獲得する、特に学ばなくてはならないのは、妊娠し出産しても子供が四歳になり独立するまで、幾らセックスをしても妊娠しないと言う仕組み 平和なセックス・アニマルの社会には母系的な原理が強い=ピクミーチンバンジーナミチンパンジー=父系原理が強い

父とは=家族を守るために戦うこと 経済的に維持活動をすること 子供を養育すること人間は今や、ホモ・サピエンス(考える動物)と言う名を、ホモ・ディメンチア(愚劣な動物)変えなくてはならないのか

物みな死で終わる

福祉施設は各地の大学病院とタイアップすべきだ

仏教の精神から言えば、臓器を病んでいる人に提供する事は大慈悲である

平成SAFE SEX の鉄の掟 1セックス・パートナーを特定化せよ 2コンドームを常時持ち歩け 3オーラル・セックスを控えよ 4アナル・セックス厳禁 5ディープ・キスに気おつけよ

自明と言われている事を疑うことが哲学

環境倫理学=自然にも生存権を認め、人間優先主義を否定する・現世代は未来世代の生存に責任がある「世代間倫理」によって、進歩の名のもとに資源を枯渇させるよう行為をチェック・地球全体主義で、近代の個人主義、自由主義を消滅させる可能性を持つ

技術の進歩が人間にとってどういう意味をもち、どんな可能性があるのか=哲学

人間と石ころに優劣なし虚心に読書百遍に徹すれば、難解な書物も必ず読み解く事が出来る

本を友とせょ、その中から、夢とロマンを拾え

何も勉強ばかりして、心の判らね人間になるより、遠回りをしてもいい、東大に入り国を動かす人になるより、人様の邪魔になる石を動かせ

人を怒る前に自分を怒れ

優しさは非常に残酷なものだ・厳しさは大変な勇気を必要とする

人生を何も深刻に生きることもあるまい、素直に正直に生きればいい、後悔しないために

個性を大切にしろ、と言う事は何も我侭に生きろという事ではない

哲学を持っていませんなどと言う戯言を言うな、生きると言う事が哲学をしていることだ

秋茄子は嫁に食わすな、後家に見せるな

環境問題を論じている輩が、ゴルフのハンディを垂れ、料亭で食べ残しをしている 煙草の煙りを嫌がる割りには、排気ガスが気にならない音痴が多い、個人の好みか

ゴミは屑篭へと孫がポスターを描き、祖母は庭のゴミを川に投げ入れている、断絶か人は皆、加害者である事を忘れ、被害者面をしたがる、人の所為にし自己を正当化

馬鹿な男とは=女に持てようと分不相応の車をのる奴 心を研かずに車を研く奴

       優しさだけが売り物の奴 頭も財布も中は空っぽの奴 女に口説かれ

     る奴 好きな女に好きだと言えない奴 女を女神だと思っている奴

       女が総て助べーだと勘違いをしている奴 オッパイに惚れる奴 男と

     女の区別がつかない奴 男と女の区別も出来ない奴 女と友情を育も

   うとする奴 四年間国民の税金を無駄使いした奴 猫に手を借りる奴

 犬に馬鹿にされる奴 ets???・・・???・・・?

あほな女=車で男の値踏みをする奴 SEX特集をせっせと読む奴 子供を産まない

   奴 愛したことのある男の悪口を言う奴 避妊を男に任す奴 前の男と比

 べる奴 エイズキャリァになった途端にSEXをしまくる奴 自分をブス     だと言う奴 化粧代で給料がなくなる奴 人の振り見て安心する奴 友達     の彼を見て理想を下げる奴 友達の彼を見て安心する奴 利口そうに見え     る奴 セクハラだと言って訴える奴 何をされてもセクハラだと気付かな     い奴 トレンディドラマを観て泣く奴笑う奴怒る奴 愛することを忘れた     奴 砂漠のように乾いた奴 酒を飲んで思い出し笑いをする奴 贈り物を     質屋に持っていく奴 ets???・・・???・・・?

ノゾキについて=正当な理由なくて、人の住居、浴場、更衣室、便所その外、人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかに覗き見た者は拘留または科科に処すとあるから、その外にて人とが淫らに裸になっているところを見ても刑法に触れないが、そのような性癖があると、何かの事件の時に引っ張られるから注意が肝要

幼年に大志を抱け 少年よ包茎に悩むな 青年よ行動を起こせ 中年よ妻を恐がるな老年よ学を志せ

PKOは憲法違反である、が、私学助成金も憲法違反である、文部省よ、もうこれ以上馬鹿な大学生の援助することはないのではないか。22才までの勤労青年のあらゆる税金を免除すると言う事が平等で、汗水垂らして稼いだ賃金の一部を税金に取られ、その一部が、阿呆な学生の助成に使われるのだから それも大学生はアルバイトで彼らより遥かにいい金を稼ぎ優雅に暮らしている 就職すると彼らより出世が早いとは何事か 学歴偏重の給与体制を改め 四年間の税金の無駄使いに対してそれに相当する金額を国に払え また、勉強もしなかった事を懺悔して憲法違反者であるというう認識をもて 学卒だと言って威張るな、君等を支えた若者の事を考えろ

ナースの国家資格を取った者に 学卒の資格を与えよ また資格試験が必要だろうか教職を退いた人は、のんびりと余生を過ごし、教育委員会や文化団体の非常勤になるな 教育を履き違え、文化を産んでいないのだから 身を引けよ

何も教育を語るのに、教職課程を卒業してなくてはならないのだろうか、教育とは教え育てるという意味を間違っているゆえか 一般の教育意見に耳を貸せ 教師だけが教育の専門家ではないのだから

子供にとって父と母が最大の教育者である

身のほどを知らずして謙虚さを忘れた人間を莫迦と言う

    唯心 観念=心を中心に人間の生き方を考える  形而上学的=机上論

哲学{唯物   =物を中心に人間の生き方を考える{形而下学的=体験論  法律であって法律でない=売春禁止法・食管法・公職選挙法

平成七・五・三不況=七・五・三病=景気が再浮上までにかかる年月=不動産-七年銀行-五年 証券-三年                           新3K=カタカナ企業・稼動率・金どまり

北方四島返還で国民一人あたり六万円の援助をロシアへ

湾岸戦争の時には国民人のあたり壱万円を

日本の国民性として、素朴と慎みが大きくあらわれていた、現代の傲慢と、エゴでは国際社会からはみ出しそうだ

心の美しさは、容姿の美しさに比例する

絵の善し悪しは、女の善し悪しと同じである・好きか嫌いかでいい、魅力的か?

3トウ=強盗、窃盗、骨董 骨董で儲けようなて考えは盗にも等しいということか

炒飯=古い米ほど美味しく出来る、その秘訣は「ご飯を炊かずに茹でて蒸すこと」

火炎、業火、灯火・・・等画がかれた火の姿に日本人の心をみる 火=猿=母=安産山車の関西、神輿の関東 神輿が関東から消えたのは関東大震災が原因である

ゴミ焼却炉は現在ふた通りある=ストーカ炉と流動床炉・ゴミのカロリーがうんだ 明治大正まではボケはなかった、他の動物もボケはない、ではなぜ現代にあるのか

高級というのは=頭、心、身体、総てに働きかける効果が大きいということ

結婚して一年以内に妊娠する割合65%・二年以内90%・二年たっても命中しない場合「不妊症」と言う

上手に栄養を摂るコツ=一食十色・ご飯から漬物まで、梅干しも入る

日本料理の基本は=一汁三菜・汁物、向付、煮物、焼物 向付とは膾(なます)

武家の作法は=器を膳に置いたまま頭を上げて食べる

町人の作法は=器を持って食べてもいい 武家と町人は自ずと料理が違う

ほどほどで最良とは料理の極意なり 甘いものは甘く、辛いものは辛く

プロとは=五味、五行、五色、五感、五法、この25の組合せが上手くいった時に始めて日本料理は完成する

五味とは=甘い、酸っぱい、苦い、塩辛い、香辛料の辛さ・味のバランス

五色とは=白、黒、黄、赤、緑・五味が揃うという事は見た目も綺麗だし栄養も偏っていない・栄養のバランス

五行とは=火、水、土、木、金・火加減、水加減、土壌、自然のバランス

五感とは=見る、聞く、匂う、触る、味わう

五法とは=切る、煮る、焼く、蒸す、揚げる

「人生は茨の道だけれど、安易な道を歩むな。険しい道を行けば行くほど、人間というものは出来てくるんだ」

「年を取っても、枯れないことです。常に清潔な感じを保とうと言う心がけが大切」「人生はたった一回きりしかない。だから若いうちに有意義だと思う、こうありたいという宿題を一所懸命沢山作りなさい。それで年を取って行く。その宿題を一つずつ解決していく、そのために努力をする。努力し、宿題を解決し尽くしたら、人間の一生って、たったの一回で充分なものだと思えるではないか」

「よく死ぬることはたやすいけれど、よく老いることは並大抵のことじゃない」ジイド 「年を取れば顔にシワ、身体にシワは寄る。しかし魂だけにはシワを寄せるな」

「運鈍根が人生を大成させる」広中平裕 (益田喜頓のインタービューより)

初鮭・初鰹と言うことになったのは=江戸の中期頃から、一番に将軍の台所、ついで幕府の儀式典礼を司る高家の勝手を賑わし、その余りが一般に売り出されるというのが仕来りが・町人の食文化をつくった

天婦羅と名ずけたのは山東京伝

猪の肉は=山鯨、牡丹(冬、黒)  鹿肉=紅葉  馬=櫻

差別とは=ものすべて、個性や性質があるでしょう。それを認識するのが区別です

     それを”それを大きいから偉い”とか、”小さいから卑しい”等と意味な

   く判断したり、位置づけるのが差別です 「橋のない川」 住井すえ

もっとも入りやすくて、入ったら最後、降り落とすことの出来ないやつかいな感情、これが差別です・誰もが裸で生まれ、死ぬと一様に灰になる。その人間に貴賎の別があるわけがない。卑しいのは、差別をするその心ですょ

文化とは、命を大事にすること

”土を愛しみ、水をいたわり、火を敬う”と言う心が、だんだんと、土に愛しまれ

水にいたわられ、火に助けられて、はじめて生き長らえることが出来るのだという事が判って、命の恩恵を受けていることを感じる

童話は、やさしい言葉で深い哲学を表す 素晴らしい文学です

今話題の薬として注目を集めているのは「ロイコプロール」と言う、森永乳業が癌患

改めて今読んでも私には新しいものとして映る。

  倉敷市の文化政策はどこにあるのか・・・。

 倉敷市は「文化の町」と名打っているが果たしてどうなのか・・・。一向に文化の萌芽は見られない。画家と称する絵画の愛好家が切望した倉敷市美術館もできあがって久しいが相変わらず手持ちの池田遙邨の絵を展示してはお茶を濁すというていたらくなのである。旧倉敷市役所を市の美術館にして欲しいと嘆願した画家と称する絵画の愛好者は一体何をしているのかと問いたい。展覧会はどうか、企画はどうか、又、観覧者として足を運んでいるのであろうか。市民は市の美術館が何をしているのかということも知らないのが現状なのである。全くの税金の無駄遣いなのである。
 わたしは水島に会館を造るという諮問会に招かれて出席したが、会館を使用する人たちの代表者たちと議論をしたのだが、千人、二千人のキャパを持った会館を欲しがっているのには驚いた。どのような会館を求めるという物ではなくとにかく大きいと言うことに拘っていたのだ。その人達はそんなに大きな会館を借りて何をしようと言うのか、年に何回も借りて催しや公演をすることが出来るほど観客を呼べる心つもりがあって話しているのだろうかと思った。まさに市の美術館を懇願した美術愛好家の自分勝手な意見と同じであった。やはり文化民度の低さがこの町にははびこっていると言っても過言ではなかったのだ。箱物を造ると言うことは、それを求めると言うことは責任を持たなくてはならないと言うことを忘れている文化人と称する人がなんと多いことかと驚いた。
 倉敷市には市民会館、芸文館、児島文化センター、玉島文化センターと大きな箱物がある。その使用率は五十パーセントも満たないところばかりである。維持費という税金が無駄に使われていることになる。そこに従事する職員はなんの手も打っていないのが現状である。それらを管理するのが倉敷市文化振興財団であるが企画力の貧困は否めない。三億円の経費がこれも無駄になっていると言っていい。わたしも十数年間ソサエティーとして参加したが何も進展はなく無駄な時間を過ごしただけであった。わたしの企画が通らなかったから言うのではなく何をするのも億劫と言う職員達に何を言っても変えることは出来なかった。他の委員達も創ろう変えようという気概は全くなかったのだ。
倉敷は果たして文化が振興したのか・・・・
倉敷市文化振興財団が出来て以来文化はどのように変わったのか、何も変わっていない、創られていないと断言できる。
つまり文化の種を蒔いていない、地元で作らなくてはならぬものをよそから借りてきて誤魔化しているとしか言えない。そこに文化が育つとは思えない。市民の参加がない以上その民度は高くならない。文化と言うのなら地元に定着していて市民が参加して民度を上げなくては文化の定着などない。
ライフパークを作り市民に生涯学習の場を作ったが相集うのは教員、公務員の退職者のたまり場になっている。一般の市民は阻害されている感がある。その施設を牛耳っている面々が上から目線で拒否しているからだ。また、あらゆる文化施設はそれらの退職者によって便宜を図っている。市民は置き去りである。
倉敷が文化の町とうたっているがその言葉は空々しい。
新しいものを作り文化として定着させなくては、文化の発展はない事を知らない。
これは今の日本全体の傾向としてとらえることが出来る。
文化の萌芽のない日本に文化が途絶えるのは当然である。それは倉敷にも当然言える。
 

ご苦労様でした。

次回公演についてですが、今回の公演を周囲から眺めてみて、次回の公演はなしと考えていました。
もう私の時代は終わったという感はします。71回を劇団滑稽座の終わりとして考えていました。演劇は情熱だけではできるものではなく仲良しグループで出来るものではないということをかんじました。
私がなぜ子供たちと青年とともに演劇を作ってきたか、それは人間としてともに成長することを考えていたからです。はたしてその考えは正しかったかという疑問を持ち始めました。
私にはみんなの成長が見えない、白内障や黄斑変性症の影響で見えないのではなく台本に人の道、生きるということは何かを書いても一向に成長をしないことに絶望を感じたのも確か、それが見えないということなのだと気づきました。
それを感じ始めて私の物書きとしての筆はとまりました。60歳の時です。70歳で本を出版しましたが、それを喜んでくれた人は一人もいなかった。ほとんどの劇団員は一冊も売らなかった。その本を次回の公演に使うと聴いて驚いています。感動をしなかったものを演じられるはずもないことが全く分かっていないことにも絶望しています。

会場を抑えていると聴き驚いています。
私はその会場を以って君たちの新しい門出を作ってほしいと思います。出し物は既成の台本か君たちが書くことで吉馴からの脱皮を希望します。

つまり私が引くことにより劇団滑稽座は終わりだということです。新しい劇団を作りその中で演劇活動をしてほしいと思っています。もともと劇団滑稽座はとっくに終わっていたのかも知れません。
考えが大きく違ってきた、私は演劇を通しての人間学を学んでほしかったから続けてきました。君たちに作品を通して…というのは無理だったことを感じました。君たちは私が書いた台本の一行も覚えていないことにここでも絶望を感じました。

高井とも話し合ってみます。色々と今までともに歩んでくれたことに感謝をいたしております。

72回があるとしたら・・・今、それを考えたくない気持ちです。

皆さんと話し合い考えてみてほしい。

25014/11/4       吉馴  悠

今、七十四のなって書きとめていたものや、想いに流されて書いたものを個々に載せてきた。それらはその時その時の私の心を漂泊していると感じているからである。
2016/6/22

今、書いてるのは今まで書いていて未完の物や連載中のものやそれらを
完結させるために書いている。
書きさしの作品は30作ほどあるがお描き終えたいと思っている。それに70からの自分史も書かなくてはならない。少しずつではあるが進めたい。
そんな日々をいきている。

若い頃から今も、テレビドラマはほとんどみませんが、映画は音を消してみています。台詞は画面、表情を見て想像して頭の中に作るのです。そして人物の過去と現在を見て将来を想像するのです。人間観察をするのです。そんな訓練をしてきました。それを自分の創作に生かすのです。                                京子さんが行ったであろう苦労もわかります。人並みの努力ではだめだったことも、人より少し努力を、人よりチョット勇気を出して、人よりわずかに人との出会いが多くあって、その差は大変大きいことだったこともわかります。                             今頃漸くわかりかけてきました。人の悩みが、この歳になって今までの不養生があだとなり体が拒否反応をするときに、いろいろな悩みを持って苦しんでいるであろう沢山の人の思いが。一人の人間が一人の苦しみを解決してあげられたらどんなに世の中が明るくなるかを感じています。人から見れば些細な事でも本人にしてみれば深刻な問題なのです。若いころ感じなかったものがようやくわかりかけています。これから物を書くときに理解することから始めをうと思っています。60歳からの10年間、書かなかった結果の結論なのです。

あどけない。たくさんの夢を抱えて飛び回って幸せを運ぶ…。きっときっと元気になる。もっともっと幸せになる。考えたって駄目だよ、悩んだっていいことないよ、自分の力で立ち上がらなくては…。深呼吸をするんだ、想い悩んでいるときには…。誰かのせいにしてはだめだよ、きっと自分の心の中に原因があるんだから…。そんな時には眼をつむるんだよ、そこには君の素晴らしい明日が見えるから…。

若い頃から今も、テレビドラマはほとんどみませんが、映画は音を消してみています。台詞は画面、表情を見て想像して頭の中に作るのです。そして人物の過去と現在を見て将来を想像するのです。人間観察をするのです。そんな訓練をしてきました。それを自分の創作に生かすのです。            
京子さんが行ったであろう苦労もわかります。人並みの努力ではだめだったことも、人より少し努力を、人よりチョット勇気を出して、人よりわずかに人との出会いが多くあって、その差は大変大きいことだったこともわかります。  
今頃漸くわかりかけてきました。人の悩みが、この歳になって今までの不養生があだとなり体が拒否反応をするときに、いろいろな悩みを持って苦しんでいるであろう沢山の人の思いが。一人の人間が一人の苦しみを解決してあげられたらどんなに世の中が明るくなるかを感じています。人から見れば些細な事でも本人にしてみれば深刻な問題なのです。若いころ感じなかったものがようやくわかりかけています。これから物を書くときに理解することから始めようと思っています。60歳からの10年間、書かなかった結果の結論なのです。今、そんな思いを抱いて良寛さんと貞心尼の想いを書いたのが、一人芝居「はちすの露」なのです。10年間は無駄ではなかったと思えるようなりました。初心を貫くことも「林住期」なのかもしれないと思えてきました。京子さんから温かい励ましをいただいて書く気が起こりました。うなぎを怖がらず食べて元気を出して…。ありがとうございました。お元気で、つつがなき日々を…。



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